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「『戦争プロパガンダ10の法則』という本を読んだので備忘録として」


 お世話になります。孫平です。



 先日、『戦争プロパガンダ10の法則』という本を読んだので、個人的な備忘録としてまとめておきます。




 著者は、ブリュッセル自由大学教授で歴史学者のアンヌ・モレリ先生です。




 本書は、1928年にロンドンで出版された、アーサー・ポンソンビー卿の『戦時の嘘』を参考にしながら、第一次世界大戦からアフガン空爆までのあらゆる戦争に共通する正義捏造、自国正当化のからくりを、モレリ先生が紐解いていくという内容になっています。




 そして本書では、あらゆる戦争に共通して見られるプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った宣伝行為)を10の法則としてまとめているわけですが、ここで取り上げられているプロパガンダは、現代でも政治や企業やプライベートな活動でも、たくさんの人を意図する方向へ動かしたいときには頻繁に使われている手口であるなと感じた次第です。




 というわけで、戦争プロパガンダ10の法則について、私なりに簡単にまとめておきます。








①「わたしたちは本当は戦争を望んではいない」


 あらゆる国の国家元首は、戦争を始める直前や宣戦布告のときに、必ずといっていいほどそのように言っているそうです。



 戦争をしたくないのになぜするのか?その疑問に答えるために、次のプロパガンダが使われます。







②「敵側が一方的に戦争を望んできたため、やむをえず戦争をしなければならない」


 「敵国」が先に仕掛けてきたため、わたしたちは「やむをえず」、「正当防衛」もしくは国際的な「協力関係」のために「いやいやながら」戦争をせざるをえない、ということです。 



 つまり、戦争の責任は「敵国」にあるのだと、国民に伝えるのです。



 そして次に、敵はどんな奴なのかという具体的なイメージを国民に示します。








③「敵国の指導者は悪魔のような人間である」


 いかに敵国であっても、その国の国民全体を憎むことは難しいものです。



 そのため敵国の指導者を、悪魔、怪物、悪人、異常者、野蛮人、凶悪犯罪者、人殺し、人類の敵、平和を壊す者としてまつりあげ、敵国の指導者に敵対心を集中させるプロパガンダが使われます。



 すべての原因は敵国の指導者にあり、戦争の目的はそのような大悪党を捕えることであり、彼らを倒すことで人々にとって平和な生活が戻ってくる、ということを伝えるのです。








④「わたしたちは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」


 戦争は多くの場合、経済効果を伴う地政学的な征服欲があって始まります。(経済効果が見込める特定の領地が欲しい、植民地を広げたい・取り返したい、自国の強さを示し国際的に有利な立場になりたいなど)



 しかし、このような戦争の真の目的は、国民には公表されません。



 なぜなら、そのようなことが戦争の目的だと公言すれば、多くの国民が戦争に反対することが目に見えているからです。



 そこで、その国の独立、名誉、自由、国民の命を守るなど、限りなく高尚な目的をつくり、戦争は正義のために行うのだと国民を信じ込ませるプロパガンダが使われるのです。



 つまり、戦争の目的を隠蔽し、すり替えるのです。







⑤「わたしたちも意図せず敵に攻撃をすることがあるが、敵はわたしたちにわざと残虐行為におよんでいる」


 もちろん戦争には残虐行為が存在しないわけではなく、多かれ少なかれそのような行為がついてまわるのは事実です。



 しかしこの戦争プロパガンダでは、「敵側だけ」が残虐行為を行なっていて、自国の軍隊は国民のために、さらには他国の民衆を救うために活動している正義ある軍隊であると信じ込ませようとします。



 敵国の攻撃は異常な犯罪行為であると強調し、平和を破壊する大悪党だと印象付ける狙いがあります。



 実際に、敵の残虐行為の作り話を自国のメディアで流し、戦争に賛成するムードを高めるという手口は今も昔も変わらず存在しているようです。








⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」


 戦争の勝敗を左右する要素のほとんどが、武力の優劣にあると言っても過言ではありません。



 このプロパガンダには、自国の軍隊はルールを守ってフェアな戦いを行なっていること、そして敵国は非人道的な兵器や戦略を使用している悪者である、というイメージを刷り込ませる狙いがあります。



 自国の軍隊も、敵国と同じように強力な兵器を使用しているにも関わらずです。


 






⑦「わたしたちが受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大である」


 戦時中の世論の動向が、戦況によって左右されるのは言うまでもありません。また、戦地にいる兵士の士気にも大きく影響してきます。



 そのため、戦況が思わしくない場合、自国の被害や損失を隠蔽し、敵に与えた被害を誇張するプロパガンダが使われやすくなります。



 実際の情報を「伝えないこと」も、情報戦の一つであると言えます。








⑧「知識人も戦争を支持している」


 全ての広告がそうであるように、プロパガンダも人々の心を動かすことが非常に重要です。



 そして戦争を支持する感動的なプロパガンダを作り上げるために、第一次世界大戦の頃から多くの芸術家や知識人が駆り出されてきました。



 初期の頃には、作家、詩人、画家、哲学者、科学者、大学教授などが、戦争プロパガンダづくりに協力していました。



 時代が進んで第二次世界大戦の頃には、絵画からポスターに代わり、プロパガンダ映画が登場し、ラジオやレコードが戦争プロパガンダの手段として大いに利用されました。



 そのような、戦争を正義のための戦いとして魅力的にみせるプロパガンダが国中に溢れ、さらには国を代表するような知識人や芸術家がこぞって戦争を支持する発言をしていたら、そこに疑問を持つのは非常に難しいのではないかと思います。








⑨「わたしたちの大義は神聖なものである」


 このように宗教的な意味を戦争にもたせることで、それは「聖戦」となります。つまり、悪を倒す正義の戦いです。



 実際、兵士たちはしばしば「神のご加護に」など、宗教的な意味合いをもつ表現を多用しています。



 ベルギーのメルシエ枢機卿の言葉にはこんなものがあります。


「祖国の名誉のため、正義を守るために命を捧げるベルギー兵は、その武勇をキリストによって讃えられるだろう。またその死は、神に許され、魂の救済を得るだろう。」



 日本でも、キリストの部分が、「天皇」や「国民」、「先祖」や「家族」などに代わるだけで、おそらく似たような思想をプロパガンダによって植え付けられていたはずです。

 








⑩「この正義に疑問をもつ者は裏切り者である」


 ここまでみてきた、戦争を正義のための戦いとするプロパガンダを示してもなお戦争に疑問を持つ者がいれば、その人は愛国心がない頭のおかしい裏切り者扱いされます。



 今の日本でそんな感覚になることはあり得ないと思うかもしれませんが、もし国が本気で戦争プロパガンダを作ったら果たしてどうなるか分かりません。



 現に、これだけネットやメディアが隆盛している現代においても戦争はなくなっていないわけで、人の考えや信条は洗脳によっていとも簡単に変えられてしまうのかもしれません。



 モレリ先生は、最後にこう語っています。


「裏切り者扱いされないように、口をつぐむべきなのだろうか。国家が正しいときは従うとして、国家が誤った判断を下しているときに反対することは可能だろうか。もし無実の罪に泣く人がいたら、敵であっても弁護してやるのが正義、真実ではないだろうか。たとえ、それによって裏切り者と責められることになっても…。」








「熱い心と、冷たい頭」をもつ


 そのように言ったのは、イギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルです。



 憎悪を掻き立てられ、正義に奮い立ち、弱者に同情するというのは、「人間らしい」感情の動きであり、それがあるからこそ人間はここまで発展してきたと言えます。



 しかしそれと同時に、その「人間らしさ」ゆえに、多くの負の遺産をつくってきたのもまた事実です。



 あらゆる情報が錯綜する現代に生きるわたしたちには、やはり「正しく疑う力」が重要だと思います。



 人間らしい心を失うことなく、そこに流されない「熱い心と、冷たい頭をもつ」。



 とても難しいことだと思いますが、ここまでみてきた戦争プロパガンダからは、その重要性がひしひしと伝わったきます。







【参考文献】

アンヌ・モレリ 著、永田千奈 訳 『戦争プロパガンダ10の法則』草思社(2015年)





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