いつもお世話になっております。孫平です。
みなさんは誰かに頼み事をするのが得意ですか?
私は苦手です。断られる可能性があるかもしれないが、誰かに助けを求めなければいけない場面でも、自分で抱えて解決しようとしてしまうのです。
つまり、自分で問題を抱えるよりも、誰かに頼み事をする方が苦痛が大きいというわけです。
私みたいな人は、案外多いのではないでしょうか?
もちろん私も含めこういう人たちは、自分で問題を抱えることが必ず正しいとは思っていないでしょうし、人に嫌な顔されずに頼み事ができれば、どれだけ毎日が楽になることか、と思っているはずです。
そう、本当はみんなに助けてほしいのです。
というわけで今回から、ハイディ・グラント・ハルバーソンの『人に頼む技術』を参考文献に、「頼み方の極意」シリーズとしてまとめていきたいと思います。
それでは参りましょう。
頼み事をするときに感じる「5つの痛み」
ニューロリーダーシップ・インスティテュートのディレクター、デイビッド・ロックは、痛みの反応をもたらす社会的脅威を、5つにまとめています。
そして、この5つの脅威から生じる痛みが、私たちが頼み事をする際の障害となるのです。
①ステータスへの脅威から生じる痛み
人に頼み事をするということは、自分にできないこと、自分が知らないことを、他人から助けてもらい教えてもらうということです。
そのため、(実際はそうではないのですが)自分の無能・無知をわざわざ相手に教えることだと感じてしまうのです。
それはつまり、自分が相手より劣っている=ステータスが下がった、と感じるということです。
人は、自分のステータスが下がる・下げられることに対して、非常に強い不快感を覚えます。
だから、人に頼み事をすることに抵抗を感じてしまうのです。
②確実性への脅威から生じる痛み
人は、予測できないことに対して強い恐怖心を感じます。
人に頼み事をすることは、まさに予測できないことの一つと言えます。
頼み事を聞いてもらえるかもしれないけど、断られるかもしれない…。
そんな不確実な状況が、頼み事をする際にブレーキをかけてしまうのです。
③自律性への脅威から生じる痛み
人には、自分の意思で物事を選択し、それに従って行動したいという、基本的な欲求が備わっています。
しかし、頼み事は結果が読めない不確実なものです。
つまり、相手の反応に従わなければいけないというわけです。
そのような状況は、自律性の概念とは対極にあります。
自分でコントールできず、相手にコントールされてしまう、そんな感覚が頼み事にはついてまわるのです。
④関係性への脅威から生じる痛み
関係性とは、集団への帰属意識や他者とのつながりのことです。
人は群れで生活してきた(している)生き物なので、他者から拒絶されると猛烈に不幸な感覚になってしまうのです。
頼み事をして相手から断られる恐怖=拒絶される恐怖が、私たちが頼み事をする際の足かせになっているのは間違いありません。
⑤公平性への脅威から生じる痛み
「最後通告ゲーム」という心理学の有名な実験がありますが、人は公平性のためなら、自分にとって悪い結果さえも受け入れることがあります。
人は、自分が公平に扱われるかどうかということに対して、非常に敏感なのです。
頼み事をして断られたとしたら、そこに相手との公平性を感じることはまずないでしょう。
頼み事という公平性が崩れる可能性があることを、自らすすんでするには、相当な勇気が必要です。
私たちが頼み事が苦手な理由、嫌いな理由は、ここまでみてきた「5つの脅威から生じる痛み」によるところが大きいということが、なんとなくお分かりいただけたかと思います。
次回は、そんなメチャクチャ痛みを伴う頼み事ですが、実は案外、頼む側のネガティブな思い込みによるところが大きくて、断られることは滅多にないかもしれないです、といった話をしたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
【参考文献】
ハイディ・グラント・ハルバーソン『人に頼む技術』2019年(徳間書店)
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